新卒で会社に入り、働き始めてしばらくすると「この会社、なんかおかしくないか?」と感じ始める人がいます。
怒鳴られるのが当たり前。説明と違う働き方。休みの話をすると空気が悪くなる。でも周りは何事もない顔で働いている。「自分が甘いだけなのかもしれない」そうやって、違和感を飲み込んでしまう。
私は就職氷河期世代として新卒で社会に出ました。ようやく決まった一社は、今思えば典型的なブラック企業でした。
当時は、とにかく内定を取ることが最優先で、会社を選べるような状況ではありませんでした。「正社員になれただけでもありがたい」「ここで辞めたら、もう後がない」そう思い込みながら、違和感にフタをして働いていました。
この記事では、新卒でブラック企業に入ってしまった実体験と、それでもなぜ、すぐに辞める決断ができなかったのかを振り返ります。
根性論でも、美談でもありません。個人の問題として片づけられがちな話を、当時の就職環境と職場の構造から整理していきます。

なぜ就職氷河期世代はブラック企業に入りやすかったのか?

就職氷河期世代がブラック企業に入りやすかったのは、 本人の見る目や努力の問題ではありません。 当時の就職環境そのものが、そうなりやすい構造になっていました。
新卒の求人が極端に少なかった
バブル崩壊後、多くの企業が新卒採用を大幅に縮小しました。 「新卒を採らない」「数人だけ採用する」という企業も珍しくなく、 就職活動をしても、書類すら通らない状況が続いていました。
周囲では「何十社受けても内定が出ない」という話が当たり前で、 内定が1社でも出れば、それだけで十分だと思わざるを得ない空気がありました。
私の場合は企業にエントリーを100社以上しました。その中で面接に行けたのは20社くらいです。その中で内定をもらえたのが1社だけでした。
「内定=正解」と思い込まされる空気
内定が出にくい状況では、企業の中身を冷静に見る余裕はありません。 労働条件や社風に違和感があっても「贅沢を言っている場合じゃない」と自分を納得させてしまいます。
結果として「内定をくれた会社=良い会社」という前提が作られ、疑問を持つこと自体が悪いことのように感じていました。
新卒で辞めることへの強い不安
当時は今以上に新卒カードは一度きりという意識が強く、早期退職は致命的だと思われていました。
そのため、「入ってから考えよう」 「とりあえず耐えよう」 という選択をする人が多く、 結果としてブラックな環境にとどまってしまうケースが少なくありませんでした。
たった1社の内定が、すべてを決めてしまった

就職活動の末、ようやく1社だけ内定をもらいました。 選択肢がほとんどない中で、その内定は「ホッとした、助かった」という感覚に近いものでした。
内定をくれた会社を疑う余裕がなかった
会社の評判や働き方に不安がなかったわけではありません。ただ、その不安よりも 「ここを逃したら、もう正社員になれないかもしれない」という恐怖の方がはるかに大きかったのです。
条件を比べる、会社を見極めるといった余裕はなく、内定をもらえた事実そのものが、判断基準になっていました。それに、内定をもらった後も少し就職活動をしていましたが、どの会社も内定をいただくことはできませんでした。
「3年は我慢」という言葉に縛られていた
当時は新卒は最低3年働くべきという価値観が強く、すぐに辞めることは、逃げや甘えだと捉えられがちでした。
そのため、 多少おかしいと感じることがあっても「自分が慣れていないだけ」「もう少し耐えれば変わるはず」と考え、違和感を後回しにしていました。
配属ガチャで感じた最初の違和感

入社前に配属希望を聞かれ、「希望は考慮します」と言われていました。 その言葉を、当時の私はそのまま信じていました。
希望とはまったく違う配属が一方的に決まった
実際に届いたのは、配属先だけが書かれた一通の通知でした。 事前の説明も相談もなく、希望していた地域とはまったく違う場所に・・・まさか希望は関西圏でと言ったのに北陸に配属になるとは思っていませんでした。
戸惑いはありましたが「社会人って、こういうものなんだろう」 そう自分に言い聞かせて、疑問を飲み込んでいました。
この時点で声を上げられなかった理由
入社前から異議を唱えることは、 評価が下がるのではないかという不安がありました。 内定をもらえた立場で、 文句を言う資格はないと思い込んでいたのです。
それに怖さもありました。言ったら何をされるのか?新卒の時は右も左もわからないので何が正しいのか判断がつかず、言っていることが全て正しいと思い込んでいました。
今振り返ると、 この時点ですでに無理をしていたのだと思います。 ただ当時は、それを異常だとは認識できませんでした。
研修という名の異常な環境

入社後、全国から新入社員が集められ、集合研修が始まりました。 最初は社会人としての基礎を学ぶ場だと思っていましたが、 実際に待っていたのは、想像していた研修とはまったく違うものでした。
怒鳴ることが前提の研修だった
企業理念を大声で叫ばされ、挨拶の練習で挨拶の返事が小さいとやり直し。営業のロールプレイでは声が枯れるまで叱責され、少しでも動きが遅れると、全員の前で怒鳴られました。
まるで洗脳するかのように上の立場の人間が「我々は同じ釜の飯を食べる者同士、みんなで頑張っていこう」と言ってきたり、優しいところと厳しいところを交互に見せる感じがしました。
この研修では、内容を理解しているかどうかよりも、どれだけ従順に動けるか、声の大きさや気合が重視されていたように思います。
初日に姿を消した同期がいた
研修初日が終わったあと、一人の同期が戻ってきませんでした。 理由は詳しく知らされず、翌日には「辞めたらしい、仕方ないよね」と上司から同期みんなに話だけが伝わってきました。
当時は 「せっかく入社したのにもったいない」 そう感じていましたが、 今思えば、あの判断の方がずっと冷静だったのかもしれません。
今思うと本当にヤバい研修だったと思います。2泊3日で座学という名の大声での挨拶の練習、営業トークを覚えてっみんなの前でロールプレイ、企業理念を大声で言えるまで覚えさせるなど異常だったと思います。
営業現場で心がすり減っていった

配属後は、中学生向けの教材を家庭訪問で販売する営業職でした。 社会人経験もない新卒の自分には、 毎日が「慣れる」以前に「耐える」時間になっていきました。
社内でも社外でも追い詰められる構造だった
社内では上司に詰められ、 外に出れば、知らない人に門前払いされる。 チラシを配るだけでも怒鳴られたり、 インターホン越しに罵倒されることもありました。
ひどい場合は「警察を呼ぶぞ」と言われたこともあります。確かに訪問販売って家のドアが開かないと営業ができないので、いかにドアを開かせるか?ドアが空いたらどれだけ突っ込めるかを必死に教えられました。
しかし、訪問先での断り、罵倒は自分の心をすり減らす結果になりました。
「これが普通なんだ」と思い込んでいた
理不尽だと感じることがあっても、 新卒の自分には比較対象がありません。「社会ってこんなものなのかもしれない」 「自分が弱いだけなのかもしれない」 そう思い込むことで、何とか自分を保っていました。
しかし、毎日、朝の9時から夜中の2時まで毎日働かせられたりすると流石に頭の中がおかしくなってきました。
体に出始めたサインを無視していた
次第に、人と話すだけで緊張するようになり、 夜もぐっすり眠れなくなっていきました。それでも当時は、 休むことや助けを求めることよりも「明日も行かなければ」という気持ちが先に立っていました。
夏場になると7月1日〜お盆まで休みがなくなりました。この時の給与は休日出勤はありませんでしたし、残業もありませんでした。
辞めたいのに、なぜか辞められなかった

毎日のように「もう無理だ」「辞めたい」と思っていました。 それでも、不思議なことに「辞めます」という言葉だけは、 どうしても口に出すことができませんでした。
「自分が辞めたら迷惑がかかる」という思い込み
人手不足の職場だったこともあり「ここで自分が抜けたら、周りに迷惑をかける」という気持ちが強くありました。実際には、会社の都合で配置されているだけなのに、 なぜか責任だけを自分一人で背負い込んでいました。
同期のみんなはとてもいい人たちでした。しかし、1人辞めまた1人辞めとなっていき気づけば同期は7人いたのが半年も経たないうちに2人となりました。
辞める=逃げだと思い込んでいた
当時は「新卒で辞めるのは根性がない」「最低でも3年は続けるべきだ」そんな価値観が当たり前のようにありました。
それに結果が出ていないのもありました。営業成績は下から数える方が早い方でした。なので何を言われても反論がd系ない状況に追い込まれていました。
そのため、 辞めたい気持ちが出てきても「ここで辞めたら負けだ」「自分の経歴が終わる」と考えてしまい、動けなくなっていました。
「自分で言うしかない」と思い込んでいた
辞めるには、上司に直接伝えて、 引き止めや説教を受けるしかない。 そう思い込んでいたことも、大きな理由でした。もし退職すると言ったら何を言われるのか?暴力を受けるのではないか?そう思っていました。
実際に契約が取れない時は机をバンバンと叩かれたり、罵声を浴びせられたり、何を言っても反論され、追い込まれる状況になっていっていました。
今振り返ると、恐怖と知らないことが多かったという面も大きかったのだと思います。
今なら、弁護士に任せるという選択肢もある
現在は、本人に代わって退職の意思を伝えるサービスもあります。 中でも「退職110番」は、 労働問題を専門とする弁護士法人が運営している退職代行です。
退職の意思表示だけでなく、 未払い残業代や退職時のトラブルなど、 法律が関わる問題にも対応できる点が特徴です。
上司に言い出せない、 引き止めや圧力が不安と感じる場合でも、 会社と直接やり取りをせずに退職できます。
弁護士法人が運営する
退職代行「退職110番」を確認する
限界を迎えて、ようやく辞めると決めた

辞めたい気持ちを抱えたまま働き続け、あるとき、心も体も限界に近づいていることに気づきました。それでも、はっきりと「辞める」と決めるまでには、もう一段階、時間が必要でした。
実家に帰って、初めて気づいた異変
お盆休みに実家へ帰り、久しぶりにまとまった睡眠を取ったときのことです。 朝、目が覚めた瞬間に「もう戻りたくない」という気持ちがはっきりと浮かびました。
今まで頑張ってきたけれど結果は出ない、上司には怒鳴られるし、営業先では断られる・・・それまで張りつめていたものが切れたように、ようやく自分の本音に気づいた感覚でした。
辞意を伝えたら、あっさり終わった
意を決して退職の意思を伝えると、少し引き留められましたが、ずっと辞めますと言い続けていると「いいよ、辞めさせてやるよ」と退職することができました。
その後は話は驚くほどあっさり進み、 数日後には退職が決まっていました。あれほど悩んでいたのに「なんでもっと早く言えなかったんだろう」 という後悔の方が強く残りました。
退職までの数日間で感じたこと
退職が決まってからの数日間は、信頼できる先輩と一緒に、仕事という名目で外に出る時間が多くありました。先輩とは、営業中のトークの仕方や振る舞い方、ストレスの発散方法などとてもよく教えてもらいました。
その方の役に立ちたいと思い、退職するとなってからしばらく一緒に回り契約を取っていました。
気が抜けて契約が取れるなんておかしい話かもしれませんが、自分なりに考えた結果、張りつめていた気持ちが少しずつほどけ、 久しぶりに、人として普通の感覚を取り戻していくようでした。
今なら、当時と違う選択肢がある

あの頃の私は「辞めるなら、自分で言うしかない」 そう思い込んでいました。 他の選択肢があるとは、考えたこともありませんでした。
昔は「耐える」以外の選択肢が見えにくかった
当時は、今ほど情報も多くなく、 周囲に相談できる人も限られていました。「新卒で辞めたら終わり」「石の上にも三年」 そうした言葉が当たり前のように使われ、耐えることが正解だと思わされる空気がありました。
今は第三者や法律の力を借りることもできる
現在は、本人に代わって退職の意思を伝えるサービスや、法律の専門家が対応する仕組みも整ってきています。
すぐに使うかどうかは別としても自分だけで抱え込まなくていいそう思える選択肢があることを知っているだけで、 気持ちはかなり違ってきます。
知っているかどうかで、追い込まれ方は変わる
逃げ道があると分かっていれば、人は必要以上に自分を追い詰めずに済みます。辞める・辞めないの判断以前に「選択肢がある」という事実を知ること自体が、自分を守ることにつながるのだと思います。
ブラック企業にいた経験を、どう受け止めているか

あの会社にいた時間を「全部無駄だった」とは思っていません。ただし、だからといって「良い経験だった」と美化するつもりもありません。
ただただしんどくて暗い毎日を過ごした感覚しか今はありません。苦痛で毎日が嫌で嫌で仕方なかったです。
「耐えられた自分」を評価するのではなく、責めない
ブラックな環境で耐え続けることは、誇らしいことではありません。ただ、当時の自分は当時の条件の中で、必死に生きていただけでもあります。
今になって思うのは、 あの頃の自分を責め続けても何も変わらないということです。 責めるより先に「よく持ちこたえた」と一度認めてやった方が、次に進みやすくなると感じています。
あの経験が、今の判断基準になっている
怒鳴ることが当たり前の職場、休めないことが当然の空気、相談できない環境。そうした場所が「普通ではない」と分かったことで、今は働く環境を選ぶときに、何を優先すべきかがはっきりしました。
まとめ

新卒でブラック企業に入ってしまった背景には、 個人の判断ミスだけではなく、 当時の就職環境や職場の構造がありました。
就職氷河期世代では、 新卒の求人が少なく、 内定を得ること自体が目的になりやすい状況でした。 その結果、 会社の中身を十分に見極められないまま入社し、 違和感を抱えても辞めづらい状態に置かれる人が少なくありませんでした。
辞められなかったのは、 根性が足りなかったからでも、 覚悟が足りなかったからでもありません。 「辞める以外の選択肢を知らなかった」 それだけだった側面も大きかったと思います。
ブラック企業にいた経験は、 誇るものでも、美化するものでもありません。 ただ、 何を避けるべき環境なのかを知る基準にはなりました。

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