こんにちは、「こはおじさん」です。
新卒で入社して1〜2か月。そろそろ「この会社…もしかしてやばいかも?」と思い始める時期かもしれません。
でも、そう感じているのは、あなただけじゃありません。
僕は“就職氷河期世代”と呼ばれる世代で、大学卒業後にようやく決まった1社が、まさに典型的なブラック企業でした。

今、働くことに悩んでいる人へ。これは「辞められなかった僕」の実話です。
なぜ“就職氷河期”が生まれたのか
1990年代後半、バブル崩壊によって日本企業は深刻な経済危機に直面しました。相次ぐ銀行や大手企業の破綻、そしてリストラの嵐。
その影響をもろに受けたのが、新卒採用枠です。「内定が取れない」「どこにも就職できない」という若者が全国にあふれ、“就職氷河期”という言葉が生まれました。
僕もその時代に就職活動をしていた一人。大学では「100社受けても内定ゼロ」なんて話がザラでした。
この頃に社会に出た僕たちは、スタート地点からすでにハンデを背負っていたのかもしれません。
※雇用制度の変化や非正規との違いに興味がある方は、こちらも参考に:
契約社員と正社員の違いって?実体験から考える“壁”の存在
たった1社の内定。それが“地獄の入口”だった
そんな中、奇跡的に内定をくれた会社がありました。家庭向け教材の営業会社で、ネットでは「ブラック偏差値上位」の常連。
でも当時の僕にとっては「正社員として入社できる」ことが何よりも重要で、選り好みなんてできる状況じゃなかった。
「とにかく3年は頑張らなきゃ」
今思えば、この“我慢は美徳”という空気こそが、ブラック企業を生き延びさせる土壌だったのかもしれません。

配属ガチャで感じた、最初の違和感
入社前、「配属希望はありますか?」と聞かれて、「関西で働きたいです」と答えました。
「そうですね、希望は考慮します」と言われて少し安心していた僕のもとに、年が明けて1月頃、1通の手紙が届きました。
配属地:金沢
…え? 関西じゃない。北陸? なにそれ。
電話も説明も一切なし。ただその一文だけが書かれた手紙で、僕の配属先は勝手に決まっていました。
大学まで実家暮らしだった僕にとって、知らない土地での一人暮らしは大きな不安でした。
とはいえ、言われた通りに3月に引っ越しを済ませ、地元を離れて金沢で暮らす準備を整えました。
「社会人ってそういうもんなんだろうな」と思い込んでいたあの頃の僕。
今振り返ると、この時点でもう十分“異常”だったんだと思います。
研修という名の“絶叫大会”
全国の新入社員が名古屋に集められ、1〜2週間の集合研修が始まりました。
大声で理念を叫ばされ、「お疲れ様です!」と絶叫し、ロールプレイで声が枯れるまで怒鳴る。初日で数人が姿を消しました。
当時の僕は「これは洗礼なんだ」「社会ってこういうものなんだ」と思い込み、自分を無理やり納得させていました。
特に印象に残っているのが、初日に辞めた同期がひとりいたこと。
そのときは「なんで辞めたのかな?」「せっかく入ったのに…」と正直、もったいないようにも思っていたんです。
でも今になって思います。あのとき辞める決断をしたあの人の方が、よっぽど正しい判断をしていたのかもしれないと。
営業現場では“お客様が敵”だった
当時の僕は、新卒で社会人経験もなくて、「社会ってこういうものなのか」と思い込んでいました。
毎日怒鳴られて、休日もなくて、心がすり減っていっても、「これが普通なんだ」と自分に言い聞かせていました。
でも今ならはっきり言えます。あれは“おかしかった”んです。
働くことって、本来こんなに苦しくて孤独なものじゃない。そう気づけたのは、そこから抜け出したからこそです。

配属後は、中学生向けの教材を家庭訪問で売る営業職に就きました。ポスティングでチラシを配るだけでも怒鳴られ、門前払いされ、罵倒される毎日。
社内では上司に詰められ、外では見ず知らずの人から怒鳴られる。
次第に、誰かと話すだけで緊張するようになり、夜はぐっすり眠れなくなっていきました。
※似たような現場の厳しさを感じた方には、こちらの記事もおすすめです:
コナミスポーツクラブで働いていた頃の話。現場のリアルを語ります
辞めたいのに、なぜか辞められなかった
夏は「稼ぎ時」と言われ、30日連続勤務。休日出勤手当はゼロ、深夜2時まで“反省会”という名の説教タイム。
営業成績が悪ければ「ボウズ(=ゼロ件)」と呼ばれ、「給料泥棒」なんて言われることもありました。
「もう無理だ」「辞めたい」って、毎日思っていました。
でも、なぜか言い出せなかった。
「同期が辞めたから、自分が残らなきゃ」「今辞めたら迷惑がかかる」──そんなふうに、周囲への申し訳なさを理由にしていたけど、
本当のところは、自分の口で“辞めます”って言えなかった。そこに、自分の弱さがあったんだと思います。
あのとき、もっと自分を大切にする勇気を持っていたら、結果は違っていたかもしれません。
※ブラックな会社にありがちな“洗脳構造”については、こちらの記事でも解説しています:
ブラック企業とホワイト企業の違いとは?
限界を迎えて、ようやく“辞める”を口にした
転機はお盆の帰省でした。実家に帰り、久しぶりにゆっくり眠った朝、ようやく心が叫びました。
「もう、無理だ」
会社に辞意を伝えると、驚くほどあっさり退職が決まりました。あのとき感じた脱力感と、「なんでもっと早く言えなかったんだろう」という後悔は、今でも忘れられません。
退職までの数日間、信頼できる先輩と一緒に“営業”と称して車でドライブしていたのが、唯一の穏やかな記憶です。
今なら、辞め方はいろいろ選べる時代
あの頃の僕は、辞めるには「自力で言うしかない」と思い込んでいました。でも、今は違います。
上司に言えなくても、頼れる“代行”や“相談先”がある。
実際、退職代行サービスを利用した人は年々増えていて、2024年には転職者のうち約16.6%が利用したという調査結果も出ています。
特に20代では約18.6%、営業職では25.9%が利用しており、「引き留められそう」「言い出せない」という理由で使われることが多いそうです。
企業側もすでに認識していて、「退職代行で辞めた人がいた」と回答した企業は全体の23%超。今や“普通の選択肢”になりつつあります。
「もう頑張れない…」と思ったとき、無理せず頼れる選択肢を、どうか持っていてください。
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僕自身、「もう限界だ…」と思いながらも、辞める勇気がなかなか出ませんでした。
でも今は、無理せず誰かに“頼っていい時代”。その選択肢を、あなたにも持っていてほしいんです。
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「今すぐ辞めたい」も、「まだ迷っている」も、すべてOK。
どんなステップでも、動き出せば未来は少しずつ変わっていきます。
ブラック企業にいたからこそ、得たものもあった
あの会社にいた時間を「意味がなかった」とは思いません。
理不尽な叱責、孤独、心の限界…。そのすべてを経験したからこそ、今、少しの優しさにも気づけるようになったと思います。
- 怒鳴られても、受け流す“耐性”がついた
- 普通に話せる上司に出会ったとき、涙が出そうになった
- 「次こそ、自分に合う職場を選ぼう」と心に決めた
ブラック企業にいたことを誇りに思うわけじゃないけど、そこで必死に耐えた自分を、今はちゃんと認めてあげたい。
※そもそも「ブラック企業」とは何なのか?
その対極にある「ホワイト企業」との違いについて、こちらの記事で詳しく解説しています:
ブラック企業とホワイト企業の違いとは?
最後に|今、つらいあなたへ伝えたい
今の仕事がつらい方へ。
「辞めてもいい」んです。
あなたの人生は、会社のためにあるのではなく、あなた自身のためにあるもの。環境を変えることは、逃げではなく「人生を取り戻す一歩」です。
ちなみに僕は、その後婚活をして結婚もできました。人生って、変えようと思えば変えられます。
▼婚活体験談はこちら:
30代でパートナーエージェントを利用して結婚できた話【実体験】
「いつか笑える未来」を信じて、自分らしく働ける場所を探してみてください。
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